悪夢探偵に出演しているキャストの活躍記録

映画「悪夢探偵」

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悪夢探偵のキャスト、映画公開当時の活躍とは?


悪夢探偵の登場人物を演じたキャストを紹介します。
悪夢探偵が放映された当時に、どんな活躍や他作品へ出演していたのか、また、現在ではどのような役者として活動をしているのか気になる方はこちらをご覧ください。


影沼京一:松田龍平


父・松田優作・母・松田美由紀の芸能人夫妻の長男として1983年に生まれました。
両親は龍平が生まれてから結婚しましたが6才の頃に父・松田優作を病気で亡くしています。

役者になろうと思っていたわけでは無かったのですが、中学3年の時に映画「御法度」の主役を探していた大島渚監督の目に止まった事がきっかけで、一度はそのオファーを断りましたが出演する事となり様々な賞を総ナメにしました。


この事がきっかけで松田龍平の俳優人生が始まりました。

悪夢探偵は松田龍平が23才の時の出演で主役をつとめ、映画初出演となったhitomiとの共演で話題を集めました。
他にも「剱岳・点の記」や「探偵はBARにいる」「舟を編む」など数々の映画作品や大河ドラマにも出演するなど幅広い活躍を見せてくれている。

プライベートでは2009年に当時モデルだった太田莉菜と結婚し同年に長女が誕生するも、2017年に離婚した事を発表している。


霧島慶子:hitomi

1976年生まれで1993年から雑誌「Fine」のモデルとして活躍。1994年には小室哲哉の目にとまり歌手としてもCDデビューを果たす事になります。

小室ファミリーの落ちこぼれだとメガヒットを飛ばせない自分を気に病む事もあったのですが、小室プロデュースから外れて以降もヒットを飛ばし2000年にはシドニー五輪で活躍した女子マラソンの高橋尚子が練習中にテンションを上げる曲と紹介した事から、再びチャートを上昇させるなど歌手としても活躍している。

卵巣腫瘍を患っている事が分かり、2004年までの1年半に渡って芸能活動を休業していましたが、2007年に「悪夢探偵」で長編映画初主演を果たすなど3児の母としても歌手と女優としても活躍している。


若宮刑事:安藤政信

1975年生まれで1994年にスカウトされ、1996年の「キッズ・リターン」で芸能デビューするとその年の映画賞を総ナメにしました。

以前は1年に1度のペースでの仕事を望んでおり一時期は映画やTVに出演する事なく、事務所のホームページにも名前がなかった事などから引退説まで流れてしまう事もありました。
事務所の移籍などを経て様々な活躍をする中で、2014年に結婚していたという事を、翌年の2015年に蜷川実花との対談で明かすなどプライベートは見せたがらないが現在は2児の父である。


映画出演を果たし数々の映画やドラマで活躍しているが、出演映画の中で試合のダウンシーンでは実際に撮影終了後に医者が呼ばれて控室で処置された事や、壮絶なアクションシーンでは相手が本気でやれなくなるからと、肋骨が折れている事を隠して撮影に挑むなど俳優として体を張って演技をしている

そうでありながら舞台挨拶では緊張しすぎてしまう為に二日酔い状態でないと話せないという一面も見せるなど、個性的な俳優として人気を集めている人物です。


パンク少女:猪俣ユキ


1982年生まれで福岡県出身
日本とドイツで活躍しており女優だけでなく脚本家・映画監督としても活躍している。

他に、雑誌へのコラム執筆やMVのディレクターなどマルチな才能を活かし様々な活躍をしています。


2006年に自身が長編映画初監督を務めた映画「ユモレスク」ではキャストに松田優作と結婚前の太田莉菜が出演するなどしています。


0(ゼロ):塚本晋也

1960年東京生まれ 映画監督や俳優として活躍しています。
幼少期にウルトラQに衝撃を受けた事から中学生になると自主映画を作り始めるなど、小さな事から映画を撮るという道に進んできました。

高校・大学と美術を専攻したのだが、高校時代には自身が制作した映画が日本テレビ主催の映画祭で入賞を果たすなど、映画監督になる為の道を着実に歩んできたといっても過言ではありません。

1989年四畳半のアパートにて少数のスタッフと制作された「鉄男」でローマファンタスティック映画祭のグランプリを獲得した事で国際評価を得ました。
映画監督として俳優として活躍している彼が、監督をつとめる映画に俳優としても出演したのが悪夢探偵の0ゼロ役です。

そんな塚本晋也監督は、2016年にはマーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙」にも出演を果たし、その俳優としての活躍が海外の映画作品にも広がっていく事が今後期待される注目の人である事は間違いないでしょう。


大石恵三:原田芳雄


1940年東京都出身の俳優
工業高校をでた後に俳優座養成所に入り卒業する。


1967年に「天下の青年」でデビューした後は1968年に松竹映画で銀幕デビューを果たし、俳優人生をスタートする事となりました。
数々の映画やテレビドラマに出演しその功績がたたえららえ2003年には紫綬褒章を受賞する。

鉄道ファンで乗る・見る・作る事が好きである事でも知られ、電車好きが講じて数々の電車関連のバラエティに出演するなど、その素顔を垣間見る事もできます。

悪夢探偵で共演した松田龍平の父である松田優作が尊敬していた俳優が「原田芳雄」だった事から、その原田芳雄が松田優作の話を話してくれた事に関して、「自分にとって幸せでしかない」と松田龍平語っている事から、撮影中の二人の様子が伺えます。


原田芳雄は2011年に亡くなった後、映画界への功績が多かった事などから旭日小綬章を受賞しています。